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【駿河武将】

井伊直親(イイ ナオチカ)†

レベル:数†

65:7

職業†

薬師

配置†

先陣武将

戦闘開始時セリフ†

なし

構成†

名前職業レベル初期付与使用技
井伊直親薙刀薬師50再生▲青葉の笛、凶風、苦悶の霧、全体治療・参、速効活力・弐、破界の光・参、全体解呪
東遠江鍛冶衆刀鍛冶45迅速破砕撃、守護術
駿河遊行僧槍僧45全体回復・参、凍気・弐、後光
駿府連歌師懐剣陰陽45火炎・四、低速化・参、呪縛・参
神部神社弓兵弓神主45嵐撃・参
今川青侍槍侍45
駿河の下忍刀忍者45三連撃、水遁の術・改、結界破り・改

特徴†

ドロップアイテム†

備考†

列伝†

井伊直満の子。亀之丞、肥後守。1535年ごろの生まれと考えられるが実際には不明。

井伊氏は藤原家を祖として遠江国引佐郡井伊谷に土着したのが始まりとされる。
一説には子が女子ばかりで跡取りに困った藤原共資が古くから井伊谷にあった国司を養子に迎え入れたのが始まりといわれ、こちらのほうがどうも有力なようである。
井伊城を根拠地とし、はやくから遠江の有力武士となっていたようである。古くは新田義貞に従軍した記録があり、うそ臭い家系が非常に多い藤原家の出自の中では、信憑性がある。

今川氏に南北朝より仕えていた名跡(ただし16世紀前半に何度か全面衝突していることから、完全な臣下ではなかったようである)であったが、総じて高い扱いではない。これは今川氏にとって井伊氏はたびたび謀反を起こす邪魔な存在であったからであろう。

1542年、当主であった直宗が討ち死に、44年には井伊氏は小野氏の諫言をうけた今川義元より井伊直宗の弟にあたる井伊直満と井伊直義が自害させられると、直満の子である直親にも追っ手が迫ったが、直満の家臣である今村藤七郎正実という人物に助けられ、以後かれの教育を受けたという。

1555年に井伊谷に舞い戻り、当時井伊氏当主であった直盛の養子となる。このときから直親を名乗っていたようである。
しかし桶狭間で直盛は戦死、直親はその後をついて当主となるものの、1562年には親である直満を諫言によって自害させた小野氏に再び謀反の嫌疑を井伊氏にかける(なお、このときの疑いは濡れ衣であったことが家康によって証明、小野氏は磔にされている)。
井伊直親はこれの申し開きをするために駿府に向かう途中、今川氏真の命を受けた朝比奈泰朝の襲撃にあい討ち死に。さらには翌年、一族の長老であった井伊直平が出兵の折に飯尾連竜の妻に毒茶をのまされ死亡。井伊谷は完全に今川のものとなった。

なお、直親が討ち死にしたさい、彼の子は2歳であったが、一命を取り留めている。これが後の徳川四天王が一人井伊直政である。

その他情報†


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Last-modified: 2026-08-05 (水) 00:09:28