旧寄合所ミラー(コミュニティ記録・保存参照用)

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耳川の合戦 (島津家)

田原親賢(たわら ちかかた)†

レベル:数†

55:7

構成†

生息地域†

ドロップアイテム†

備考†

紹忍印
準備なしで単体に強力な呪い、蛇紋孔並に減る。
  • 紹忍とは田原親賢が出家した際の法名。

列伝†

大友氏の有力家臣。奈多鑑基の子に当たり、田原家へは養子として入った。
元々、田原氏は九州でも有力な家門であったが、親賢の妹が大友宗麟の妻になるとその勢力はさらに拡大。
親賢は仏教徒の僧でもあったためか、キリスト教には批判的であった。
しかし、後にキリシタン大名となる宗麟への忠誠は厚く、宗麟が洗礼を受けた後も、宗麟の臨終の後も永く仕えている。
後期には宗麟より領土の大部分を預かることとなるが、耳川の戦いで大敗、所領も大部分が召し上げられてしまう。
しかしその後も仕え、関ヶ原の戦いで大友・田原家は西軍に与するが、1600年に佐賀関で敗死。

山城の廃城にいる田原親虎(廃嫡公子より改名)は親賢の養子である。しかし、仏教の家にあって洗礼を受けたため廃嫡され、府内の教会に逃れた。その後、赦されて戻り、耳川にて戦死したと伝えられる。
また、耳川の重囲を逃れ堺・伊予(愛媛)まで逃れたともいう。山城に置かれた理由は不明。

その他情報†


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Last-modified: 2026-08-05 (水) 00:09:29