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相模武将一覧

石巻康敬(イシマキ ヤスマサ)†

レベル:数†

65:7

職業†

侍

合戦配置†

先鋒

戦闘開始セリフ†

なし

構成†

備考†

特徴†

ドロップアイテム†

旧ドロップアイテム†

列伝†

石巻家貞の子。彦六郎、左馬允、のちに下野守を名乗る。五太夫とも。号は幻庵。生年は1534年とされる。

石巻姓をもつ人物は北条家には数多くおり、彼もその一人である、。石巻氏は三河国八名郡石巻郷を発祥とする一族である。伊勢宗瑞(北条早雲)が今川家に仕えていたころ、今川勢の先陣として三河に出陣した際に仕えたと考えられている。御馬廻衆に列せられ相模西郡飯田や伊豆爍山などに役301貫を知行していたが賦課されていなかったようである。そのためか、各人が個別に知行を持っている。

1579年ごろに兄康保が没すると家督を継ぐ。御馬廻衆に列せられ伊豆奈古屋に80貫を知行していた。
評定衆や奏者・普請奉行をつとめた官僚であり、これは父、兄から引き続きである。
小田原の役では、その発端である名胡桃事件(猪俣邦憲が名胡桃城を落城させた事件)の弁明のために1589年に秀吉の下に赴くが、その帰路で駿河国沼津三枚橋城に監禁されてしまう。
その後1590年に北条氏は滅亡、相模国鎌倉郡中田に蟄居するが、後家康に仕えて同地に知行を与えられ、旗本格として待遇を受けその子孫は幕末まで続くことになる。
なお、彼の知行地にある中田寺は康敬が開祖とされている。墓も同地にある。

その他情報†


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Last-modified: 2026-08-05 (水) 00:09:28