朝倉籠手切の太刀 の差分

(作成時) → 版 10670(2026-10-04 11:41、旧寄合所ミラーから引き継ぎ)

+ [[刀系]]
+ *&ruby(アサクラコテギリノタチ){朝倉籠手切の太刀}; 【刀】 [#c31e255c]
+ #ref(朝倉籠手切の太刀.JPG)
+ **基本性能 [#o247f47f]
+ |CENTER:''価値''|CENTER:''重量''|CENTER:''攻撃力''|CENTER:''耐久度''|
+ |CENTER:10|CENTER:15.4|CENTER:53|CENTER:60|
+ ~
+ |CENTER:''命中補正''|CENTER:''回避補正''|CENTER:''物理耐性''|CENTER:''妖術耐性''|
+ |CENTER:+2|CENTER:+2|CENTER:−|CENTER:+10|
+ ~
+ |CENTER:''装備可能''|CENTER:侍、忍、鍛|
+ |CENTER:''装備区分''|CENTER:剣術系武器|
+ |CENTER:''必要Lv''|CENTER:22以上|
+ |CENTER:''付与効果''|CENTER:気合+60 腕力+4 器用+6|
+ ~
+ **列伝 [#jeaf3149]
+ 別名:籠手切り正宗~
+ 朝倉孝景(七代のほうであり、今作の[[朝倉義景]]の父ではない)が京都の戦で相手の鉄籠手を切ったという刀とも伝わるが、実際には朝倉氏景が1355年の京での戦で鞲(ゆかげ。弓射のさいに右指にはめるもの)を切ったものであり、本来的にはこちらが本当であると考えられる。~
+ 元は朝倉家に伝わる3尺2寸(約1M)の大太刀であり、「鞲(ユカゲ)切」という名があったがいつの間にか籠手切と称されるようになっていた。~
+ その後信長の手に渡り、1575年に二尺二寸六分五厘(70cmと少し)まで擦り下げられた。その後家臣である大津伝十郎にわたり、彼が本能寺で死亡したのち前田家に渡ったのち、明治になって天皇家に入った。~
+ 伝正宗であるが、実際は貞宗という鎌倉期の相模国にあらわれた刀工であり、彼の作であると考えられている。信長がすり下げたさいに銘が消えたか、もともと無銘であったと考えられる。~
+ そのため、一時期は相州行光作とされていたが、本阿弥家の鑑定によって正宗となった。しかし、本阿弥家は多くの正宗を(秀吉や家康の圧力によるものであろうが)生み出しており、これもその1本である。~
+ 現在は皇居に保管されている。~
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+ **備考 [#yb6d7eb6]
+ [[朝倉家]]の[[朝倉義景]]のドロップ
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+ **追加情報 [#t60829f7]
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+ #comment
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