百々爺 の差分

(作成時) → 版 14398(2026-10-04 11:41、旧寄合所ミラーから引き継ぎ)

+ *百々爺 [#w40736ee]
+ **レベル:数 [#be143d86]
+ 45:5体
+ 
+ **構成 [#gbad6441]
+ |~名前|~種類|~レベル|~初期付与|~使用技|
+ |CENTER:|CENTER:|CENTER:|||c
+ |百々爺|薬師|45|反射結界|[[治療・参]]、[[全体治療・参]]、[[呪い・参]]、[[呪いの影・参]]、[[全体喝破]]、[[反撃封じ]]|
+ |百々蛾|蛾|43||[[猛突進・極]]、[[鱗粉飛散]]|
+ |元号爺|侍|45||[[五連撃]]、[[挑発]]、[[全体看破]]、守護術|
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+ **生息地域 [#y5b28644]
+ -[[越後]]:[[佐渡金山]]
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+ **ドロップアイテム [#de4ddbfa]
+ -[[百々爺の杖]]
+ -[[お爺さんの古時計]]
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+ **解説 [#j5e9f03b]
+ 名前は「ももんじい」と読む。2つの意味があり、信onでは後者を指す。~
+ +獣肉を食事として提供する店。畑の害獣であった鹿や猪を猟師が狩った際、その肉を下野に運び、「ももんじ屋」に売却して利益を得ていたという。仏教的観点から肉食は嫌われていたため、また肉食は「薬喰い」と称されつまり病気持ちが通うとされたことから、「山から来た嫌われ者」という意味で後者のももんじいの名を当てたと思われる((ただし肉食忌避は戦国期ではあまり尊重されず、安土桃山時代ではキリシタンや国外貴族の流入にともなって獣肉を振る舞う必要があったため肉食忌避は若干薄れ、江戸期に入るとももんじ屋のような専門の肉屋が生まれ、幕末期となると肉食忌避は相当に薄れ、新撰組や大政奉還を行った徳川慶喜などは豚肉を好んで食していたという。そもそも獣肉への忌避は鎌倉時代から徐々に薄れており、平安時代(と生類憐れみの令)がピークであった。ただし戦国時代でも農耕の用になる若い牛馬を食べることは厳しく禁じられていた。))。
+ +鳥山石燕著「今昔画図続百鬼」に描かれる、原野に現れるという妖怪。毛だらけの老翁の姿をしているという。特に関東地方、それも山がちの地方では「悪いことをするとももんじいに食わせるぞ」というしつけにも用いられた。
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+ **その他情報 [#cb5259a4]
+ -反撃封じ持ち、生命3500前後かと -- [[多羅尾組]] &new{2006-05-24 (水) 12:48:12};
+ - 元号爺は守護あり攻撃力もそこそこ高いと思います。、蛾は痺れが結構来ます。 -- [[越後で働く鍛冶]] &new{2008-01-01 (火) 16:21:01};
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+ #comment
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