遠藤直経 の差分
(作成時) → 版 19147(2026-10-04 11:41、旧寄合所ミラーから引き継ぎ)
+ [[浅井家]]~
+ [[近江武将一覧]]
+ *&ruby(エンドウ ナオツネ){遠藤直経}; [#jd2e1746]
+ #ref(遠藤直経_全身_01.jpg,center)
+
+ **レベル:数 [#f0f5e608]
+ 80:7
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+ **合戦配置陣 [#r00917bb]
+ 四天王
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+ **タイプ [#i4e3ecc9]
+ 智将
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+ **戦闘開始時セリフ [#j523def2]
+ #ref(遠藤直経1.jpg)
+
+ ○○○○か!
+ 何度も言わせるな! お主を
+ 殿の御前には行かさぬぞ!
+
+ **構成 [#c778235b]
+ |>|>|>|CENTER:||c
+ |~名前|~職業|~レベル|~初期状態|~主な使用技能|
+ |遠藤直経|刀忍者|65|&color(green){▲};|''[[手裏剣乱舞]]''、[[業風・極]]、[[紫燕殺]]、[[神力両断]]、[[瞬殺閃]]、[[奪命五連]]&br;[[武運長久]]、[[小細工無用]]、各種遁術・極、[[蘇生・壱]]|
+ |浅井精兵|刀侍|60||[[一所懸命・極]]、[[五連撃・改]]、[[一刀流]]、[[蘇生・壱]]、守護術|
+ |福田寺高僧|槍僧|60|反射結界|[[後光]]、[[蘇生・壱]]|
+ |殿原衆精鋭|懐剣陰陽|60|結界|各種全体術、[[呪縛・参]]、急所狙い|
+ |近江義侠士|刀傾奇|60||[[詠唱の韻・極]]|
+ |国友上級鍛冶|鉄砲鍛冶|60||[[三段撃ち]]、[[狙撃]]、[[陽動]]、[[雨よけ]]、守護術|
+ |伊吹山山伏|懐剣薬師|60|再生|[[蘇生・壱]]、急所狙い|
+
+ **特徴 [#v6452470]
+ -争覇の章より[[手裏剣乱舞]]を使用。
+
+ **部隊アイテム [#qdc69707]
+ -[[朱丸旗印]]
+
+ **ドロップアイテム [#df935b0f]
+ -[[朱丸本旗印]]
+ -[[隠形忍び鎧]]
+
+ **大決戦伝令 [#hee7f4c8]
+ #ref(遠藤直経_大決戦_01.jpg)
+
+ **武将列伝 [#wadb7637]
+ 浅井家臣。家中随一の猛将として知られた。
+ 主君・長政に織田信長の暗殺を献策するが容れられなかった。
+ 姉川合戦の際に信長の本陣へ単身突入し、戦死した。
+
+ 喜右衛門尉、大依山砦守将。~
+ ~
+ 「彼は聞ゆる剛の者にて、力あくまですぐれたり」…遠藤直経を評した[[竹中重矩]]([[半兵衛重治>竹中半兵衛]]の弟)の言葉である。~
+ ~
+ この言葉通り、直経は[[近江]]・[[浅井家]]にその人ありと怖れられた猛将で、大依山(おおよりやま)砦の守将を務めていた。しかし彼は豪勇一辺倒というタイプではなかったようで、主君・[[浅井長政]]に二度ほど献策をしている記録があるので、それを紹介する。~
+ ~
+ 永禄11(1568)年のこと、当時[[義昭>足利義昭]]を擁立した[[信長>織田信長]]は、[[六角承禎]]に協力を要請するが断られた。このとき彼は、[[近江]]にて[[長政>浅井長政]]と初の対面をし、[[六角氏>六角一族の屋敷]]攻撃について[[長政>浅井長政]]も協力体制をとることを約束、[[信長>織田信長]]は[[岐阜>稲葉山]]への帰路、[[近江]]柏原に一泊した。そしてこのとき[[長政>浅井長政]]に命じられて[[信長>織田信長]]の接待役に派遣された三人のうちの一人が直経だったのである。~
+ ~
+ さて、初めて[[信長>織田信長]]を見た彼は一人早馬を飛ばして[[小谷城>小谷]]に立ち帰り、[[長政>浅井長政]]にこう言った。~
+ 「私が[[信長>織田信長]]を見ましたところ、武勇に優れ、謀略に長けた人物と思われます。当家を謀って取りつぶすこと必定です。どうぞ今日ご決断下さい、私が[[信長>織田信長]]を刺し殺しますので、その勢いで[[美濃]]に攻め入りなさるべきです」~
+ しかし[[長政>浅井長政]]は、「一度約束したことだ、これを変更することは出来ない」と、彼の献策を聞き入れなかった。そこで彼は再び柏原に戻り、[[信長>織田信長]]を厚くもてなしたという。そしてこのことが、直経の心の中にずっとわだかまりとして残ることになる。~
+ ~
+ さて、この間の事情は省くが、元亀元年(1570)のこと、やはり両家は戦闘を交えることになった。[[長政>浅井長政]]は[[朝倉家]]の援軍とともに[[織田>織田家]]・[[徳川>徳川家]]連合軍と[[近江]]・[[姉川]]に対峙、6月28日に決戦となった。このとき直経は陣中で[[長政>浅井長政]]にこう献策した。~
+ 「[[信長>織田家]]勢を見ますに、昼間は堅く守り、夜になると横山城を攻めています。つまり、これを逆手にとって[[信長>織田信長]]陣に夜討ちをかけると勝利は疑いございません」~
+ しかし[[長政>浅井長政]]はこの策も採用しなかった。直経は、~
+ 「このような好機を逃せば、もはや当家の危機は目前に迫っております。もし戦に敗れたなら、[[信長>織田信長]]は私が討ちます」と言い、持ち場に戻ってからも、~
+ 「戦に敗れたときには、もはや生きては帰るまい。叶わずとも[[信長>織田信長]]に一太刀つけてやる」~
+ と言ったという。そして彼は程なくその言葉通りの行動をとる。~
+ ~
+ 戦いの序盤は[[磯野員昌]]の活躍で[[浅井>浅井家]]・[[朝倉>朝倉家]]勢が優勢であったが、横手に廻った[[徳川>徳川家]]勢の奮戦で形勢は逆転、ついに総崩れとなった。討たれる者数知れず、[[浅井>浅井家]]勢の大敗である。と、この乱軍の中、[[信長>織田信長]]の本陣へ一人の武者が首を刀の先に突き刺し、「殿はいずこにおわす、いざ首実検を」と叫びながらやってきた。~
+ ~
+ そう、この武者が直経であった。彼は戦いに疲れ果てながらも[[織田>織田家]]兵になりすまし、手柄を誇るふりをして[[信長>織田信長]]に近づき、一命を捨てて斬りかかろうとしたのである。しかし控えていた[[竹中重矩]]に見破られ、組み敷かれて遂に首を取られた。たとえ彼が力を余していたとしても、[[信長>織田信長]]に斬りつけることは難しかったであろう。しかし、一途な彼は自己の命を省みず、果敢にこの挙に出た。~
+ ~
+ 重臣達が次々と[[信長>織田信長]]に降り、弱体化していった[[近江]]・[[浅井家]]の中にあって、ひときわ光芒を放った忠臣の最期であった。~
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+ **その他情報 [#f84a8dc1]
+ -業風・極も使ってきました 威力はわりと高め(全体に1000〜1200ほど) -- [[家老忍者]] &new{2005-11-04 (金) 17:06:31};
+ -陰陽師が陰陽道の全体術を使ってきたよ -- [[ななし侍さん]] &new{2006-11-13 (月) 17:45:18};
+ - お供は、5の神主がカブキに変わっています。順番も2と3が入れ替わってます。 -- &new{2010-03-20 (土) 05:35:57};
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+ #comment
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