[[山城武将一覧]] *内藤如安 [#df09b085] **レベル:数 [#ecaaf9be] 60:7 **職業 [#ec958cef] 薬師 **配置 [#w7adce69] 後詰 **戦闘開始時セリフ [#j9c6c15d] なし **構成 [#gbad6441] |>|>|CENTER:|||c |~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技| |内藤如安|薙刀薬師|60|&color(gray){▲};再生|[[疾雷]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[蘇生の秘薬]]| |京鍛冶衆|鉄砲鍛冶|55||守護術| |等持院僧兵|棍棒僧|55|反射結界|| |足利上級陰陽|懐剣陰陽|55|結界|| |八坂巫女精鋭|懐剣巫女|55||[[詠唱の韻・極]]| |将軍家兵法者|斧侍|55||| |水破中忍|懐剣忍者|55||| **部隊アイテム [#w4584d17] -[[世捨人の護身刀]] **ドロップアイテム [#m551f373] -[[聖人の護身刀]] **特徴 [#n487531b] **列伝 [#qd70aad9] :内藤如安(ないとう じょあん)|1550-1626 内藤忠俊。[[松永久秀]]の甥。如安は受洗名ジョアンの音訳。~ 1564年、[[ルイス・フロイス>九州三国志]]によりキリスト教に入信したという。~ 1565年、父・長頼が[[赤井直正]]と交戦中に討死したため、家督を継ぐ。~ 1578年、[[足利義昭]]を支持し、[[織田信長]]に敵対したため、[[明智光秀]]の攻撃を受け居城・八木城は落城し、所領を没収された。~ その後、1585年頃から[[小西行長]]に仕え、文禄の役の際は、明との講和交渉の使者として、北京へ赴いた。~ [[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]後に小西行長が斬首されると、如安は肥前の[[有馬晴信]]の手引きで平戸へ逃れ、その後[[加藤清正]]や[[前田利長>前田利家]]の客将となった。金沢では[[高山重友]]とともに布教活動や教会の建設に取り組んだが、1613年に[[徳川家康]]からキリシタン追放令が出される。~ 翌年、如安は高山重友らと共にフィリピンのマニラへ追放される。マニラでは手厚い歓迎を受けたとされ、その後、日本人町サンミゲルを築いた。 **その他情報 [#l27478fa] #comment