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仙石秀久(小田原)
仙石秀久
レベル:数
65:3
家紋
豊臣
戦闘開始時セリフ

構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 仙石秀久 | 槍鍛冶 | 65 | ▲ | 戸次川の汚名、熱血肉弾丸、徹甲拳、迅速破砕撃、武運長久、反撃術、守護術 |
| 鈴鳴り従者 | 二刀侍 | 63 | ▲▲ | 八箇必勝、一所懸命/極、崩落の計、全体看破、霧散霧消、気合削り、守護術 |
| 旗持ち従者 | 槍傾奇 | 63 | 反射結界 | 天地人、天衣無縫・改、各種槌舞、意気衝天・四、全体看破、矛無しの睨み、闘魂術 |
特徴
- 1と3の攻撃がかなり痛い為、注意が必要。
生息地域
ドロップアイテム
列伝
姉川の戦いや秀吉の中国攻略に従軍。山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いでは淡路・四国方面で活躍し、淡路洲本5万石、その後、讃岐高松10万石を与えられた。
1586年、九州の役が始まると、十河存保や長宗我部元親・信親父子らの軍監として九州に渡海する。しかし、功に焦って無謀な作戦を立ててしまい、戸次川の戦いでは島津家久に大敗。長宗我部信親や十河存保らが戦死してしまう。さらに、自らは諸将を差し置いて讃岐へ逃げ帰ったため、戦後改易され、高野山へ追放された。
1590年、小田原の陣では徳川家康の斡旋により、陣借りという形で秀吉の軍に加わり、伊豆山中城攻めや小田原城早川口攻めで大いに武功を挙げた。
この時秀久は鈴を陣羽織一面に縫いつけるという際立つ格好をして合戦に参加したことから、「鈴鳴り武者」の異名をとった。また、箱根にある地名「仙石原」は、秀久の奮闘の地であったことを記念して付けられたといわれる。
この功績により、秀久は信濃小諸に5万石を得て、大名として復帰した。
秀吉死後は、家康に接近し、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従軍して上田城攻めに参加した。戦後は秀忠遅参についての謝罪に努めたため、秀忠の将軍就任後、特に重用された。
1614年に病死。享年63。
コメント
- 3が闘魂もち -- &new{2011-04-30 (土) 03:15:16};
- 緑▲有りで鉄甲拳が開幕飛んできて至る前に鎧が死亡。3枚で-1800まで抑えられます -- &new{2011-05-01 (日) 17:18:17};
- 最初の1ターンを乗り切って、1に粘着Sしたら、驚くほど簡単に落ちました。 -- 萌黄薬師 &new{2011-05-16 (月) 19:25:33};
- 開幕最速1sが決められるかがキー -- &new{2011-05-27 (金) 18:36:09};
- 一刀流等で気合吸い取れば、仙石は動けずさらに安全 -- &new{2011-06-06 (月) 00:02:14};
- 徹甲拳ダメ検証:実質7600前後(凪の謡あり状態でダメ3800前後) -- &new{2011-06-15 (水) 17:36:58};
- 戸次川の汚名 >>>強力の八箇必勝 -- &new{2011-09-12 (月) 23:01:15};
- 四象の水が上昇してたので鬼舞ですかね?耐性低下はなかった -- &new{2011-09-13 (火) 01:08:42};
元の文章: 旧寄合所ミラーの「仙石秀久(小田原)」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
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