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内藤如安
内藤如安
レベル:数
60:7
職業
薬師
配置
後詰
戦闘開始時セリフ
なし
構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 内藤如安 | 薙刀薬師 | 60 | ▲再生 | 疾雷、沈黙の霧・壱、蘇生の秘薬 |
| 京鍛冶衆 | 鉄砲鍛冶 | 55 | 守護術 | |
| 等持院僧兵 | 棍棒僧 | 55 | 反射結界 | |
| 足利上級陰陽 | 懐剣陰陽 | 55 | 結界 | |
| 八坂巫女精鋭 | 懐剣巫女 | 55 | 詠唱の韻・極 | |
| 将軍家兵法者 | 斧侍 | 55 | ||
| 水破中忍 | 懐剣忍者 | 55 |
部隊アイテム
ドロップアイテム
特徴
列伝
1564年、ルイス・フロイスによりキリスト教に入信したという。
1565年、父・長頼が赤井直正と交戦中に討死したため、家督を継ぐ。
1578年、足利義昭を支持し、織田信長に敵対したため、明智光秀の攻撃を受け居城・八木城は落城し、所領を没収された。
その後、1585年頃から小西行長に仕え、文禄の役の際は、明との講和交渉の使者として、北京へ赴いた。
関ヶ原の戦い後に小西行長が斬首されると、如安は肥前の有馬晴信の手引きで平戸へ逃れ、その後加藤清正や前田利長の客将となった。金沢では高山重友とともに布教活動や教会の建設に取り組んだが、1613年に徳川家康からキリシタン追放令が出される。
翌年、如安は高山重友らと共にフィリピンのマニラへ追放される。マニラでは手厚い歓迎を受けたとされ、その後、日本人町サンミゲルを築いた。
その他情報
元の文章: 旧寄合所ミラーの「内藤如安」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
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