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前田慶次
前田慶次
レベル:数
70:7
職業
傾奇者
戦闘開始時セリフ
お初にお目にかかる! ○○○○○○殿の腕前 とくと拝見つかまつる!
○○○○○○か。お前も 負け戦の面白さが わかってきたみたいだな!



- 東西戦専用セリフ

構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 前田慶次 | 槍傾奇 | 55 | 大ふへんもの、万華繚乱の舞 | |
| 織田強者 | 槍侍 | 50 | 守護術 | |
| 正徳寺僧兵 | 薙刀僧 | 50 | 完全回復 | |
| 響談中忍 | 懐剣二刀忍者 | 50 | ||
| 国府宮神官 | 懐剣神主 | 50 | 詠唱の韻・極 | |
| 織田鍛冶衆 | 槍鍛冶 | 50 | 守護術 | |
| 尾張薬種商 | 槍薬師 | 50 |
特徴
- 万華繚乱の舞:全四象を上昇。発動後50秒で180度まで到達して止まる。(7秒バー)
ドロップアイテム
列伝
1533、1537、1541年など生年は諸説ある。名は利益、利太、利卓、利治、利貞など転々としているが、信長の野望では利益が使われている。
滝川益氏(滝川一益の従兄弟)の次男で前田利家(犬千代)の兄利久の養子になる(厳密に言うと母が利久の後妻となったため、連れ子としてである)。前田家は父前田利昌死後、一時利久が家督を継ぐものの、信長の命により利家に家督を譲ることになったため退去させられる。このとき利久の妻が呪詛を城にかけてから退去したなどの記録が残っている。1567年のことである。なお、この後利家が能登及び加賀2郡を拝するまでは、京都にいたとも、滝川一益の下にいたとも考えられているがどれも確証はない。
1582年ごろ、前田家に義父とともに帰参。1583年に利家が能登に加え加賀2郡を拝領すると、親子で7000石を与えられそのうち5000石を拝する。その後各地の合戦に参加、功を上げる。
1587年に義父が没すると、ほどなく不和であった利家の下を出奔する。このときに彼が起こしたのが、信長の野望で歴史イベントとしても登場している、水風呂をはってそれに利家を入れて逃げ出したというものである。実に真冬の寒い盛りであったという。
その後京都に移った彼は貴賎などと交わりを深めるとともに諸大名との交友も深める。その中で直江兼続と出会ったようである。1598年、俸禄は関係ないので、自由に働かせてほしいという条件で上杉家に仕え1000石を知行する。このときに穀蔵院瓢戸(ひょっと)斎と名乗って仕官したといわれている。
1600年の関ヶ原本戦に上杉家は参加こそしなかったものの、東北の関ヶ原といわれた山形での最上家との戦闘に参加。最終的に上杉家は敗北するも撤退時、殿を務めた慶次の働きにより、敗走戦では味方以上の損害を敵に与えたという。
その後は他家からの高禄を蹴り上杉家で500石(諸説あり)を受け取り、1612年生涯を終えたといわれているものの、前田利長(利家の長男)に幽閉され1605年没との記録もある。また、信長の野望の列伝では関ヶ原後上杉家を出奔としており、諸説ありいまひとつ定かではない。
彼の足跡は不明な点が多いものの、漫画「花の慶次」などに主役として取り上げられているために著名である。実際に武芸に秀で、文芸にも精通していた歌舞伎者とされている。
今作品では不仲であった利家の副将として登場している。
その他情報
- 東西戦で慶次は職業が侍から傾奇者に変わっているの確認しました -- &new{2007-06-26 (火) 17:21:58};
- 弱体すると純粋な盾職がいなくなるので侍のときよりも攻略は楽になりました -- &new{2007-07-21 (土) 23:49:12};
- 5体弱体→2>5>1>4>3 -- &new{2007-07-21 (土) 23:52:02};
- CRパチンコ花の慶次でも歌舞伎者になってるのを確認しました。 -- ななし忍者 &new{2007-07-23 (月) 10:11:17};
- ワロタ -- &new{2007-07-23 (月) 17:04:19};
元の文章: 旧寄合所ミラーの「前田慶次」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
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