寄合所・新 ページは、誰でも編集できます(ログイン不要)。内容はコミュニティ記録で、公式情報や公式確認済みの情報ではありません。
結城秀康
結城秀康
レベル:数
71:6
家紋
東軍
戦闘開始時セリフ
今のオレは徳川の士! 豊臣も伊達も、 ただ斬り捨てるのみ!
構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 結城秀康 | 薙刀侍 | 71 | ▲ | 羽柴結城少将、御手杵・穿、八箇必勝、一所懸命・極、沈黙の霧・壱、守護術、闘魂術 |
| 本多富正 | 槍鍛冶 | 65 | 四〜五連撃、怒号・改、守護術 | |
| 真砂作兵衛 | 懐剣二刀忍者 | 65 | ▲ | 紫燕殺、暗殺乱舞、結界破り、各種遁術・極 |
| 山名与次兵衛 | 槍傾奇 | 65 | 各種龍閃、各種槌舞、意気衝天・四、激戦の謡・参、堅陣の謡・参、向風の謡・参、蝸牛の謡、全体看破、祓いの調 | |
| 蒲生秀行 | 薙刀僧 | 65 | 全体完全回復、完全回復、大日如来秘法、回復・四、諸法無我、凍気法輪、紅蓮法輪、僧兵連撃・改、後光、全体解呪・弐、罰当たり・参 | |
| 小田氏治 | 杖陰陽 | 65 | 結界、術結界 | 轟雷等各種全体術、雷斧等各種単体術、黒道凶禍、星辰法、結界・参〜四、気合呪霧・壱、小細工無用 |
特徴
生息地域
ドロップアイテム
列伝
- 結城秀康(ゆうき ひでやす)
- 1574-1607 徳川家康の次男。~
1584年、小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉のもとへ養子として差し出される。元服後は秀吉と家康の名を一字ずつ取り「羽柴秀康」と名乗った。
1587年の九州征伐で初陣を果たし、小田原の陣、文禄・慶長の役等に参加した。
1589年、秀吉の子・鶴松が誕生すると、秀康は下総国の結城晴朝のもとに養子に出され、結城氏の家督および結城領11万1000石を継いだ。また改めて称号として羽柴姓を贈られ、官位(左近衛権少将)から羽柴結城少将と呼ばれた。
関ヶ原の戦いでは前哨戦となる上杉景勝征伐に参戦。家康らが西に引き返すと、景勝を牽制する役目を与えられ、戦後、越前北庄67万石に加増移封された。
1607年病没。享年34。
なお、秀康の武器としては、天下三名槍の一つ御手杵が知られている。
- 本多富正(ほんだ とみまさ)
- 1572ー1649 本多重次の甥。~
結城秀康が豊臣秀吉の養子となり、大坂へ送られることになった際、同行し、以降秀康に仕えた。
関ヶ原の戦いの際は秀康と共に宇都宮に在陣した。戦後、秀康が越前の大名になると、富正は府中3万6千石を与えられ、特に内政面で手腕を発揮した。
秀康の死後は家老として松平忠直・忠昌の補佐を勤めた。
コメント
- 1のLv2五輪付与は仙の凶方天中殺でLv2呪詛に出来る事を確認。 -- &new{2011-08-03 (水) 23:43:10};
- 同じく軍の知略縦横でも呪詛にできました。以降はやってきません -- &new{2011-08-04 (木) 01:41:43};
- 1のLv2付与は永続のようです。 -- &new{2011-08-04 (木) 14:07:29};
- 5は侍じゃなくて僧ね -- &new{2011-08-04 (木) 23:05:18};
- 不動なし。1s粘着すれば普通にいけそうです。 -- &new{2011-08-04 (木) 23:50:19};
- 演・召・密・士・鎧・陣・通で撃破!! -- 山吹演舞スキ &new{2011-08-05 (金) 01:49:26};
- 1は闘魂あり -- &new{2011-08-07 (日) 02:16:21};
- 武士武士のが安定する -- &new{2011-08-14 (日) 03:45:59};
- 1の特殊技が武士にとって相性が悪いです。 -- &new{2011-11-25 (金) 01:07:43};
- 滅却破られてぽっくり逝ってしまいますよww -- 1の特殊 &new{2011-11-25 (金) 01:20:56};
- 鎧2 道 軍 典 仏 暗で撃破、軍学が1のレベル2を消した後、45への沈黙さえうまくはいれば多分関ヶ原の中では楽な部類、鎧は1の付与取れてない時に至り切らすと冗談抜きで危険 -- &new{2011-12-28 (水) 02:50:34};
- 傾奇が詠唱してきました -- &new{2012-11-10 (土) 14:20:55};
元の文章: 旧寄合所ミラーの「結城秀康」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
旧寄合所ミラーの文章は、そのまま残ります。ここでの編集は、寄合所・新 ページの履歴に記録されます。