九鬼守隆 の差分
(作成時) → 版 2241(2026-10-04 11:41、旧寄合所ミラーから引き継ぎ)
+ 【[[独眼竜の野望]]】~
+ 【[[関ヶ原の陣]]】
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+ *&ruby(くき もりたか){九鬼守隆}; [#z6949ef5]
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+ **レベル:数 [#n00c0435]
+ 67:5
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+ **家紋 [#w8d7d199]
+ 東軍
+
+ **戦闘開始時セリフ [#e0ca9d91]
+ わしとて海賊大名のせがれ。
+ 甘く見るでないぞ!
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+ **構成 [#z697dba2]
+ |>|>|CENTER:|||c
+ |~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
+ |九鬼守隆|鉄砲鍛冶|67|&color(orange){▲};&color(blue){▲};&color(red){▲};|[[つるべ撃ち]]、[[千鳥落し]]、[[三段撃ち]]、[[陽動・改]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[武運長久]]、[[蘇生の秘薬]]|
+ |豊田五郎|槍侍|62||[[八箇必勝]]、[[肋一寸]]、[[一所懸命・極]]、[[崩落の計]]、[[地勢看破]]、[[全体看破]]、[[看破・弐]]、反撃術|
+ |青山豊前守|槍陰陽|62|結界|[[轟雷]]等各種全体術、[[雷斧]]等各種単体術、[[黒道凶禍]]|
+ |鳥羽水軍斥候|一刀忍者|62|&color(red){▲};&color(green){▲};|[[神魔滅殺]]、[[暗殺乱舞]]、[[瞬殺閃]]、[[結界破り・改]]、[[抗術破り]]、各種[[遁術・極>土遁の術・極]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[全体看破]]/[[弐>全体看破・弐]]、反撃術|
+ |鳥羽水軍斥候|~|~|~|~|
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+ **特徴 [#d94ab37d]
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+ **生息地域 [#zec70975]
+ -[[関ヶ原の陣]]
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+ **ドロップアイテム [#laa69592]
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+ **列伝 [#m0d3ee66]
+ :九鬼守隆(くき もりたか)|1573-1632 [[九鬼嘉隆]]の次男。正室の子であったため嫡子となる。~
+ 1597年、父・嘉隆から家督を継ぎ、1600年には[[徳川家康]]の[[上杉景勝]]征伐に従軍した。~
+ 関ヶ原の戦いでは東軍に与し、西軍に与した父と対峙する。戦後、父の助命が認められたが、嘉隆は豊田五郎右衛門の促しにより自刃してしまった。~
+ その後、鳥羽5万6000石を領し、西国大名の安宅船没収や海上輸送など水軍を率いて活躍する。~
+ 大坂の陣では徳川方として参戦し、鉄甲船等を率いて大坂湾の封鎖に貢献した。
+ :豊田五郎(とよた ごろう)|生年不詳-1600 豊田五郎右衛門。九鬼家臣。[[九鬼嘉隆]]の娘婿。~
+ 1600年、[[上杉景勝]]征伐に際し、九鬼守隆から鳥羽城留守居役を命じられるが、西軍に与した嘉隆に城を奪われる。~
+ 関ヶ原本戦で西軍が敗れると、独断で嘉隆に切腹を促し、嘉隆は自刃。父の助命に奔走していた守隆はこれに激怒し、五郎右衛門は斬首のうえ晒首にされた。
+ :青山豊前守(あおやまぶぜんのかみ)|志摩の豪族。和具城主。~
+ [[織田信長]]の志摩平定に対し三年に渡って抵抗したが、降伏し、以後[[九鬼嘉隆]]に仕える。~
+ 関ヶ原の戦いでは豊田五郎右衛門の命により、九鬼嘉隆に自刃を促す使者となり、嘉隆の介錯も行ったとされる。
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+ **コメント [#ue6ae6cf]
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+ #comment
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