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九鬼守隆

【独眼竜の野望】
【関ヶ原の陣】

九鬼守隆(くき もりたか)

レベル:数

67:5

家紋

東軍

戦闘開始時セリフ

わしとて海賊大名のせがれ。
甘く見るでないぞ!

構成

名前職業レベル初期付与使用技
九鬼守隆鉄砲鍛冶67▲▲▲つるべ撃ち、千鳥落し、三段撃ち、陽動・改、沈黙の霧・壱、武運長久、蘇生の秘薬
豊田五郎槍侍62八箇必勝、肋一寸、一所懸命・極、崩落の計、地勢看破、全体看破、看破・弐、反撃術
青山豊前守槍陰陽62結界轟雷等各種全体術、雷斧等各種単体術、黒道凶禍
鳥羽水軍斥候一刀忍者62▲▲神魔滅殺、暗殺乱舞、瞬殺閃、結界破り・改、抗術破り、各種遁術・極、沈黙の霧・壱、全体看破/弐、反撃術
鳥羽水軍斥候

特徴

生息地域

ドロップアイテム

列伝

九鬼守隆(くき もりたか)
1573-1632 九鬼嘉隆の次男。正室の子であったため嫡子となる。~

1597年、父・嘉隆から家督を継ぎ、1600年には徳川家康の上杉景勝征伐に従軍した。
関ヶ原の戦いでは東軍に与し、西軍に与した父と対峙する。戦後、父の助命が認められたが、嘉隆は豊田五郎右衛門の促しにより自刃してしまった。
その後、鳥羽5万6000石を領し、西国大名の安宅船没収や海上輸送など水軍を率いて活躍する。
大坂の陣では徳川方として参戦し、鉄甲船等を率いて大坂湾の封鎖に貢献した。

豊田五郎(とよた ごろう)
生年不詳-1600 豊田五郎右衛門。九鬼家臣。九鬼嘉隆の娘婿。~

1600年、上杉景勝征伐に際し、九鬼守隆から鳥羽城留守居役を命じられるが、西軍に与した嘉隆に城を奪われる。
関ヶ原本戦で西軍が敗れると、独断で嘉隆に切腹を促し、嘉隆は自刃。父の助命に奔走していた守隆はこれに激怒し、五郎右衛門は斬首のうえ晒首にされた。

青山豊前守(あおやまぶぜんのかみ)
志摩の豪族。和具城主。~

織田信長の志摩平定に対し三年に渡って抵抗したが、降伏し、以後九鬼嘉隆に仕える。
関ヶ原の戦いでは豊田五郎右衛門の命により、九鬼嘉隆に自刃を促す使者となり、嘉隆の介錯も行ったとされる。

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最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「九鬼守隆」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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