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北条幻庵
北条幻庵
レベル:数
85:7
職業
僧
合戦配置
軍師
戦闘開始時セリフ

んー。わしの出番かえ? まったく最近の若者は こんな老人まで戦わせよる。
○○○……? すまんのぉ。最近は人の 名前が覚えられぬのじゃ。

- 東西戦専用セリフ

構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 北条幻庵 | 軍配僧 | 70 | ▲反射結界 妖周天 | 早雲の加護、不撓不屈、逆袈裟斬り |
| 北条氏尭 | 刀侍 | 65 | 扇情挑発・弐一所懸命・極、一刀流、守護術 | |
| 風魔手練れ | 刀忍者 | 65 | ||
| 伊豆衆精鋭 | 懐剣陰陽 | 65 | 結界 | |
| 相模侠者 | 刀傾奇 | 65 | 詠唱の韻・極、一刀流 | |
| 相模鍛冶 | 鉄砲鍛冶 | 65 | 守護術 | |
| 箱根山山伏 | 錫杖薬師 | 65 | 再生 |
備考
特徴
ドロップアイテム
列伝
- 北条幻庵
伊勢新九郎宗瑞(北条早雲)の三男。名は長綱。宗哲。
出生は1493年といわれておりこれが一般であるが1504〜10年ごろという説も存在する。
今ゲームでの北条家当主・北条氏康は彼の兄・北条氏綱の子であり、氏康から見ると叔父甥の関係である。
幼名のころよりすでに寺に入り、1524年に出家して箱根権現別当についたとされているが、俗体のままついたという説もある。なお、出家した場合は名の長綱は法名となる。
1536年、箱根権現別当を辞し、政務に携わり始める。このときは還俗しなかったらしくそのまま長綱と名乗っていた(このときの名を俗名とするならば、1524年には出家していないことになる)。
その後、幻庵宗哲を名乗る。なお1524年に出家していない説をとると、いつ出家したのかは不明となる。ここは長綱が俗名と法名をかねており、読みが変わっただけと見るのが良いのかもしれない。
彼の知行・5412貫は北条家最大の知行量である。治めていたのは、相模中郡及び武蔵小机一帯であったが、1555〜7年ごろに氏康の弟であり、自分が後見人を勤めていた氏堯と自分の息子達にこれを相続させるも、長男・三郎、次男・氏信、三男・長順が相次いで死亡してしまう。
それからしばらくして氏康の七男で彼の婿養子となっていた氏秀(後の上杉景虎)が上杉家に養子に行ってしまったので次男・氏信の子、氏隆に相続させている。
彼のエピソードとして有名なのは氏康の娘・?松院が吉良氏朝に嫁ぐさいに渡した「幻庵おぼへ書」である。
彼の最期は1589年没説が強い。しかしこれは北条五代記に記されているものであり(これは軍記類の色が強い)、書簡などからは1582年で姿を消している。なお、通説どおりの生没年だと九十七歳没となり、これは当時としては(いまでもかなりのものではあるが)驚異的な長寿である。
彼は父・早雲、兄・氏綱、甥・氏康、そして氏政、氏直と北条家五代すべてにかかわっており、まさに北条家の屋台骨であった。また、詩や古典にも造詣が深く、当時は田舎の関東において一流の文化人であった。北条家が滅亡するのは彼の死から一年後、1590年のことであった…
- 北条氏尭
その他情報
元の文章: 旧寄合所ミラーの「北条幻庵」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
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