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小早川隆景

【独眼竜の野望】
【小田原の陣】

小早川隆景(こばやかわ たかかげ)

レベル:数

75:6

家紋

豊臣

戦闘開始時セリフ

時の流れを
戻すことはできぬ……
それがなぜわからぬのか。

構成

名前職業レベル初期付与使用技
小早川隆景一刀陰陽75結界、術結界厳島の血戦、虚空、凶風・弐、迅雷、奏氷・伍、鬼道凶禍、術法剣・改、星辰法、武運長久、沈黙の霧・壱
小早川秀包棍棒侍70▲▲太閤の威光、刀狩り、八箇必勝、一所懸命・極、全体看破、地勢看破、守護術
堅田元慶棍棒僧70▲完全回復、大日如来秘法、僧兵連撃・改、閻魔撃・弐、諸法無我、業火法輪、氷華法輪
熊谷元直懐剣二刀忍者70▲▲厳島の血戦、赤烏、暗殺乱舞、紫燕殺、五連撃、全体看破、霧散霧消
乃美宗勝一刀鍛冶70▲▲厳島の血戦、迅速破砕撃、怒号・改
宍戸隆家杖陰陽70結界、術結界雷滅等各種全体術、鬼道凶禍、黒道凶禍、千紫万紅、閃雷・四等単体術、結界・参、星辰法

生息地域

ドロップアイテム

備考

厳島の血戦
火属性妖術ダメージつき五連撃。~

このため防御力とは関係なく被弾数に応じて妖術ダメージが計算される。

列伝

小早川隆景(こばやかわ たかかげ)
1533-1597 毛利元就の三男。五大老の一人。~

竹原小早川氏の養子となり、1544年には当主となる。1550年には沼田小早川氏を乗っ取り、以後は毛利一門として精強な水軍を率い活躍する。
1555年の厳島の戦いでは、陶晴賢率いる大内水軍を破り、毛利軍の勝利に貢献した。
元就隠居後も、長兄・毛利隆元や甥の毛利輝元を主に政務・外交面で補佐した。
織田家が勢力を拡大すると、安国寺恵瓊を通じて秀吉と和睦交渉を結ぶ。賤ヶ岳の戦い後は秀吉に従属し、四国攻め、九州征伐、小田原の陣、文禄の役などに従軍した。
1594年には秀吉の義理の甥・小早川秀秋を養子に迎え、翌年には家督を譲って隠居した。

小早川秀包(こばやかわ ひでかね)
1567-1601 毛利元就の九男。~

はじめ備後の国人大田氏の後継となり、次いで1579年には兄・小早川隆景の養子となった。
1583年、人質として吉川広家と共に羽柴秀吉の下に送られ、その際、秀包と改名する。
秀吉に従い小牧・長久手の戦い、四国征伐、九州征伐、文禄・慶長の役などに参陣。
肥後国人一揆討伐では立花宗茂と共に戦功を挙げ、義兄弟の契りを結んだ。また、大友宗麟の娘を正室とし、キリシタン大名としても活動した。
1594年、秀吉の養子・木下秀俊(小早川秀秋)が隆景の養子となったために廃嫡され、別家を創設する。
関ヶ原の戦いでは西軍に与し、京極高次の守る大津城を攻略。しかし秀秋の内応や吉川広家・毛利秀元の日和見行為により西軍が敗れたため撤退した。
戦後は改易され、毛利輝元より長門国内に所領を与えられる。この頃、小早川秀秋の裏切りへの謗りを避けるため、毛利姓に復した。1601年に病没。享年35。

堅田元慶
熊谷元直
乃美宗勝
宍戸隆家

その他情報

  • 中国覇王の錦帯:価値28防御55耐久度44宝玉枠13&13生命140気合100知力18土属性18→解体:夏姫彗晶3魔輝晶・拾壱4戦闘熟練書1 確認です。編集の仕方わからないのでこちらに。 -- ヘタレ &new{2011-05-15 (日) 11:28:25};
  • 25が守護釣り持ちですが守備力はあまりないので守護抜けアタックで速攻で落としに行くのが有効。3は法輪準備と破界が多目。 124が漏れると6000〜程度のダメージなのでしっかり固定しておきたい。 -- 寝の国出身者 &new{2011-07-24 (日) 04:05:17};
  • 執拗に4の鎧通しを追加している方がいますが、厳島の血戦による妖術ダメージを鎧通しと勘違いしたもので実際にはありません。その他の行動は防御力で軽減できるのを確認済みです -- &new{2011-07-24 (日) 08:47:42};

最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「小早川隆景」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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