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榊原康政

徳川家
三河武将一覧

榊原康政(さかきばらやすまさ)

レベル:数

80:7

職業

侍

防衛陣

本陣

戦闘開始時セリフ

我こそは徳川四天王が一人
榊原小平太!
お主の首! もらった!

構成

名前職業レベル初期付与使用技
榊原康政侍65無印槍撃、一所懸命・極、竜跳虎臥・改、沈黙の霧・壱、蘇生の秘薬、鎧通し、守護術
服部党練達刀忍者60全体看破・弐
大樹寺高僧棍棒僧60反射結界僧兵連撃・改、八葉の蓮華、完全回復、全体完全回復、金剛力、大日如来秘法、仏の加護・参、罰当たり・参
徳川方士隊懐剣陰陽60結界
榊原忠政弓神主60詠唱の韻・極、子守歌
岡崎鍛冶衆鉄砲鍛冶60守護術
三河製茶人槍薬師60再生

特徴

全段命中してしまうと鎧の極みを使用している鍛冶ですら即死させるほどの威力をもつ。

ドロップ

部隊アイテム

旧部隊アイテム

列伝

榊原康政

榊原長政の二男。最初、小平太と名乗っていたが、初陣となった三河一向一揆との戦いで功を挙げ、家康の康の字をもらい康政と名乗る。

1570年姉川の合戦の際、家康の下知を受けた康政は本陣を離脱し、姉川の下流から迂回し、突如として朝倉軍の右側より横撃。
これによって朝倉軍は崩壊し、余勢をかって織田軍を助勢し勝利へと結びつけた。

家康の関東移封に伴い上野・館林10万石を拝領。
1600年の関ヶ原合戦は、秀忠軍に同行したため参加していない。
戦後、秀忠の遅参を許さなかった家康の怒りを解いたのも康政であったと伝えられている。

以後、老中職に就くのだが、「老臣権を争うは亡国の兆しなり」と言い切り、政治に関しては次世代の本多正信や大久保忠隣に任せていたと言われている。
1606年、館林にて病に倒れる。
二代将軍秀忠も医師を派遣したが快方には向かわず、5月14日病没す。
享年59歳。

榊原忠政

その他情報

  • 1s入れ続ければなんの脅威もない武将 -- &new{2011-02-23 (水) 07:23:35};
  • ずれている… -- 007 &new{2011-10-04 (火) 01:24:50};
  • 2に蘇生はなくなり僧に蘇生追加 -- &new{2011-10-05 (水) 05:51:58};

最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「榊原康政」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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