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蒲生郷舎

【独眼竜の野望】
【関ヶ原の陣】

蒲生郷舎(がもう さといえ)

レベル:数

72:5

家紋

西軍

戦闘開始時セリフ

あくまで狙うは家康の首!
お主らごときに、いつまでも
かかずらわっておられぬ!

構成

特徴

  • 1の戦闘力が非常に高く、紫電一閃や飛天発遣撃が後衛に漏れると8000以上のダメージになる。焦熱呪や鉢特摩呪の弐も素では合計4000↑にもなるため、抗術結界を維持できる体制を整えたい。
  • 45の攻撃力も高く、また看破や結界破り・改を駆使するため非常に鬱陶しい。

生息地域

ドロップアイテム

列伝

蒲生郷舎(がもう さといえ)
生没年不詳 蒲生氏郷家臣。九州征伐で戦功を挙げ、蒲生姓と郷舎の名を賜う。~

氏郷が死去し、蒲生秀行が家督を継ぐと、蒲生騒動などにより蒲生家は減移封される。この際、郷舎は出奔し、石田三成に仕えることとなる。
関ヶ原の戦いの後、一時蒲生家に帰参するも重臣岡重政と争い事を起し再度出奔し、藤堂高虎に仕える。
1613年、岡重政が失脚すると蒲生家に再度帰参し、三春城1万5000石を賜る。しかし、重臣町野幸和と対立し、またしても放逐される。町野幸和の失脚後、再び蒲生家に帰参するが、後に主君忠知により郷舎はまた放逐された。

蒲生頼郷(がもう よりさと)
生年不詳-1600 はじめ六角氏に仕え、六角氏滅亡後は蒲生氏に仕えた。~

1587年、九州征伐で功をあげ、蒲生氏郷より蒲生姓と郷の字を賜う。
蒲生家移封後は郷舎とともに出奔して石田三成に仕えた。
1600年、関ヶ原の合戦で織田有楽斎を負傷させるなどの活躍を見せるが、討死した。

蒲生大膳
頼郷の子。~

関ヶ原の合戦で討死。

蒲生将監(がもう しょうげん)
生年不詳-1600 安藤直重。安藤守就の弟。~

はじめ滝川一益、次いで蒲生氏郷に仕え、氏郷より蒲生姓を賜る。氏郷死後は石田三成に仕え、関ヶ原の戦いで討死した。

北川平左衛門
1569-1661 蒲生家臣。蒲生氏郷に仕え、小田原の陣、葛西大崎の乱、九戸の乱等で功をあげる。~

氏郷死後は石田三成に仕え、関ヶ原の合戦では奮戦して生き残った。のち蒲生秀行が会津に復領すると5500石で蒲生家に帰参した。

コメント

最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「蒲生郷舎」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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