寄合所・新 ページは、誰でも編集できます(ログイン不要)。内容はコミュニティ記録で、公式情報や公式確認済みの情報ではありません。
蜂須賀家政
蜂須賀家政
レベル:数
- 70:7
家紋
豊臣
戦闘開始時セリフ
されば一差し 舞うてみせん!
構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 蜂須賀家政 | 鉄砲鍛冶 | 70 | ▲▲ | 黄母衣狙撃術、蘇生・壱、つるべ撃ち、千鳥落し、三〜四段撃ち、陽動・改、守護術 |
| 生駒家長 | 槍侍 | 65 | 八箇必勝、一所懸命・極、全体看破、霧散霧消、守護術 | |
| 黄母衣衆精鋭 | 鉄砲鍛冶 | 65 | ▲▲ | 三〜四段撃ち、怒号・改、守護術 |
| 黄母衣衆精鋭 | ||||
| 黄母衣衆精鋭 | ||||
| 阿波の踊子 | 一刀傾奇 | 65 | 詠唱の韻・極、双光刃、各種龍閃、各種槌舞、意気衝天・四、全体看破 | |
| 大雄山源勝 | 棍棒僧 | 65 | 全体完全回復、完全回復、大日如来秘法、全体回復・四、回復・四、僧兵連撃・改、閻魔撃・弐、凍気法輪、紅蓮法輪、双界法句、諸法無我 |
特徴
- 黄母衣狙撃術
生息地域
ドロップアイテム
備考
列伝
- 蜂須賀家政(はちすか いえまさ)
- 1558-1639 蜂須賀正勝の子。正室は生駒家長の娘・ヒメ。阿波徳島藩祖。~
織田信長、次いで羽柴秀吉に仕え、中国毛利攻め、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、紀伊雑賀攻めなど、秀吉の天下統一における合戦に従軍し、戦功を挙げた。
四国攻め後、父・正勝が辞退したため、阿波18万石を与えられる。
その後も九州の役、小田原の陣、朝鮮出兵などに参加し、武功を挙げた。
関ヶ原の戦いでは、西軍から親徳川の姿勢を糾弾され高野山へ追放されたが、家康の上杉景勝征伐に同行させていた嫡男・至鎮が東軍として参加し、所領を安堵された。
至鎮が夭折した後は、嫡孫・忠英の後見として政務を取り仕切り、藩政の基礎を築いた。
阿波踊りの発祥と目されており、戦闘開始時のセリフはそれを踏まえたものと思われる。
初め、織田信清ついで織田信長に仕えた。信長に従い、浮野の戦い、桶狭間の戦い、越前攻め姉川の戦いなどに従軍。
本能寺の変後は、織田信雄、豊臣秀吉に仕えた。
秀吉死後は、徳川家康の四男松平忠吉の家臣となり、1954石を知行した。
- 大雄山興源寺
- 徳島県にある臨済宗妙心寺派の寺院。大雄山は山号。蜂須賀家の墓所があることで知られる。
コメント
- 2-5が常に釣ってくる、が、1345が鉄なため、法がいれば6大名最弱 -- &new{2011-05-04 (水) 03:46:10};
- 余裕ぶっこいてたら、つるべで全員5000くらいくらって瀕死になる時もある -- &new{2011-06-09 (木) 03:36:14};
- 1が沈黙の霧使用を確認 -- &new{2011-07-28 (木) 23:30:52};
- 鉄砲が多めなので法がいると楽。あと釣りが重なって標的が分散しやすいので、一点突破もしくは武芸の一意なども有効。 -- &new{2012-04-01 (日) 23:14:06};
元の文章: 旧寄合所ミラーの「蜂須賀家政」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
旧寄合所ミラーの文章は、そのまま残ります。ここでの編集は、寄合所・新 ページの履歴に記録されます。