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宇喜多秀家

【独眼竜の野望】
【小田原の陣】

宇喜多秀家(うきた ひでいえ)

レベル:数

71:5

家紋

豊臣

戦闘開始時セリフ

キミたちは幸せさ。
このオレの美しい技で
逝けるのだから…。

構成

名前職業レベル初期付与使用技
宇喜多秀家杖陰陽71結界 ▲備前宰相栄華、蘇生・壱、五雷法、鬼道凶禍、狂風、迅雷、術法剣、星辰法、閃雷・四等各種準備無し属性単体術、気合呪霧・参、沈黙の霧・壱、武運長久
明石全登一刀侍70▲明石流陽動術、一所懸命・極、八箇必勝、破紋両断、全体看破・弐、崩落の計、一刀流、守護術
戸田勝隆槍侍66▲一所懸命・極、八箇必勝、破紋両断、崩落の計、全体看破、闘魂術
宇喜多忠家弓神主66▲丸ニ剣片喰、詠唱の韻・極、三連射、神代の矢、神の光矢、神雷、神風、浄火、気合の韻・四、防御の韻・参、神の加護・参、全体解呪・弐
長船綱直杖陰陽66▲黒道凶禍、千紫万紅、轟雷等各種全体術、雷斧等各種単体術、術法剣、呪縛・参、結界・参、小細工無用

特徴

丸ニ剣片喰
味方全体にレベル2の▲▲を付与。
明石流陽動術
敵全体の標的を自身に固定(単体術軽減効果付き)+自身に反射結界+活身。
備前宰相栄華
準備ありの強力な四維山水(星辰法の▲無しで3500〜5000程度)。詠唱の韻・極で省略可能。
  • 1の準備に2が特殊釣りを合わせてくる場合がある為注意。

生息地域

ドロップアイテム

列伝

宇喜多秀家(うきた ひでいえ)
1572-1655 宇喜多直家の次男。豊臣五大老の一人。通称は「備前宰相」。~

1582年、父・直家の死により家督を継ぐ。
本能寺の変後は、備中東部から美作・備前を領有する大名となり、毛利家の監視役を務める。
その後、秀吉の猶子となり、秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫を正室とするなど寵愛を受ける。
四国攻め、九州の役、小田原の陣、文禄・慶長の役などに参加し、豊臣政権を支えた。
秀吉没後の1599年、宇喜多家内部で御家騒動が発生。直家以来の家臣団や一門衆の多くが宇喜多家を退去することとなり、宇喜多家の衰退がはじまる。
関ヶ原合戦では西軍の副大将として激戦を繰り広げたが、小早川秀秋の裏切りなどもあり敗退。
戦後は改易され、島津義弘を頼って薩摩に落ち延びた後、家康のもとへ身柄を引き渡され、伊豆諸島・八丈島へ配流となった。同地で50年を過ごし、1655年、死去。享年83。

明石全登(あかし たけのり)
生没年不詳 宇喜多家臣。洗礼名ジョアン・ジュスト。全登の読みは、「たけのり」「てるずみ」「ぜんとう」「なりとよ」など諸説ある。~

宇喜多秀家に仕え、1599年の宇喜多騒動により重臣の多くが出奔すると、執政として宇喜多氏を取り仕切った。
関ヶ原の戦いでは宇喜多勢の先鋒を努め、福島正則らと戦った。戦後、宇喜多氏が改易されると黒田如水や柳川藩の田中忠政を頼ったとされる。
大坂の陣では豊臣方として参陣。大坂城が落城した後は戦死したとも、南蛮に逃亡したとも言われており、その後の行方は不明である。

戸田勝隆(とだ かつたか)
生年不詳-1594 戸田勝成の兄。黄母衣衆として旧くから秀吉に仕えた。~

小牧・長久手の戦い、四国攻め、小田原の陣、文禄・慶長の役など各地を転戦して功をあげる。四国平定後は、伊予大州7万石を領した。

宇喜多忠家(うきた ただいえ)
1533-1609 宇喜多直家の弟。兄・直家や甥・秀家を補佐した。

宇喜多騒動後は剃髪して隠居し、大坂で没した。

長船綱直(おさふね つななお)
生年不詳-1599? 宇喜多家臣。内政手腕に優れ、宇喜多氏領国の国政を担った。
丸に剣片喰(まるにけんかたばみ)
紋の一種。戦国時代では宇喜多直家らが用いた。

コメント

最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「宇喜多秀家」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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