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鵜殿長照

駿河武将一覧

鵜殿長照(ウドノ ナガテル)

レベル:数

75:7

職業

神主

防衛陣

小荷駄隊

戦闘開始時セリフ

添付: 鵜殿長照1.jpg(旧寄合所ミラーで表示)


添付: 鵜殿長照2.jpg(旧寄合所ミラーで表示)


添付: 鵜殿長照3.jpg(旧寄合所ミラーで表示)

○○○○か。こりぬ奴。
その方の相手をするのも
もう飽きたわ!

構成

名前職業レベル初期付与使用技
鵜殿長照弓神主60▲雅な唄、霧散霧消、点破・弐、神代の風・弐
今川武者薙刀侍55天地二段・改、八箇必勝、一所懸命・極、守護術
善徳寺僧棍棒僧55結界金剛力、僧兵連撃・改、業火法輪・弐、氷華法輪・弐、八葉の蓮華、羅漢の唱
駿河山伏槍薬師55再生鬼哭啾啾、禍因の風、災禍の雷、完全治癒、歴戦の治癒、蛇紋孔・弐、裏鬼門
駿河侠骨者刀傾奇55喧嘩斬り、○龍閃・極、迦具土の舞、追風の謡・参、火祭の舞・参、鬼の化粧
駿府繁忙鍛冶鉄砲鍛冶55
駿府蹴鞠隊錫杖陰陽55結界

ドロップアイテム

備考

  • 天下夢幻変更済み
  • 撃破で四天王弱体

列伝

蔵太郎。藤太郎とも伝わる。鵜殿長持の子。生年は不明。信長の野望では1533年としているが確証は皆無な上、これでは年齢的に少々無理が生じる(彼には子が二人おり、どちらも人質として扱える年齢であったとなれば、この年齢では無理が生じるのである)。
母は今川義元の妹にあたる人物である。

父から引き継いで西郡上ノ郷(神ノ郷、上郷とも。別名鵜殿城、宇土城ともある)城主であったが、父の経歴がいまひとつ不明なため城主であったかは疑問が残る上に確証がいまひとつない(そもそも長照自体が謎の多い人物である)。
今川義元が上洛するさいは尾張大高城を落とす戦功を上げる。その後同城を守っていたが、桶狭間で義元が死亡してしまったために撤退した。

1560年に家康が今川氏が放棄した岡崎城にはいり、実質的に今川に対して反旗を翻すと三河の今川勢力は大きく後退、多くの勢力は徳川についた。
しかし、彼は今川を継いだ今川氏真とは従兄弟の関係であったため、今川に属していた。そのため異父兄弟であった松平清善と、その後ろ盾であった家康と対立する。
余談ではあるが家康の居城である岡崎と彼の居城である上ノ郷は、岡崎からみてちょうど真南にあり、30km程度しか離れていない。そのため、家康にとってもこの地に今川勢がいるのはよろしいことではなかったことは、想像に難くない。
しかし本家であった長照ら以外の鵜殿氏はほとんどが傍観を決め込み、一族からも孤立してしまう。

1562年には家康が今川と断交。これによって鵜殿は対徳川の最前線となり、居城に籠もり家康と戦った。
最初鵜殿勢は堅牢であった城を盾によく守ったが、家康は忍者を投入し城に火を放った。これによって上ノ郷は落城し、長照は討ち死にする。
しかし、一説では長照はつかまり、人質となっていた家康の妻と子供に対する交換条件として今川に引き渡されたとも言われており、定かではない。
また、このときの交換要員となったのは長照の子である氏長と氏次とも言われており定かではない。実際のところこちら2人が有力であると考えられており、長照は討ち死にしたと見られる。

どちらにせよ、この鵜殿を質とすることで、家康が家族を取り戻し、今川の優位性を一気に突き崩したことは事実である。

その他情報

  • 雅な唄使用 敵徒党員瀕死狀態 使用頻率高 -- &new{2008-10-27 (月) 23:49:30};
  • 開幕から子守唄や雅の唄など使用します。不変維持して戦えば、安定して戦えます。 -- &new{2009-08-16 (日) 01:29:00};
  • 鵜殿長照側近の子孫が通ります。 -- ak &new{2014-08-21 (木) 19:56:12};
  • 一応、父親の長持は今川義元の妹(こっちこそ年代的に考えて有り得ない)を娶り、 -- &new{2015-12-21 (月) 14:20:40};
  • 岡崎城接収にも参加しているので、経歴不明ってことはないと思うんだが… -- &new{2015-12-21 (月) 14:21:23};

最終更新: 2026-10-04 11:41(旧寄合所ミラーから引き継ぎ) / このページの貢献者

元の文章: 旧寄合所ミラーの「鵜殿長照」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。

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