寄合所・新 ページは、誰でも編集できます(ログイン不要)。内容はコミュニティ記録で、公式情報や公式確認済みの情報ではありません。
宇都宮国綱
【独眼竜の野望】
宇都宮国綱
レベル:数
- :5
家紋
- 豊臣
生息地域
戦闘開始セリフ
ええい、北条なんぞに 合力しおって!
構成
| 名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
|---|---|---|---|---|
| 宇都宮国綱 | 刀忍者 | ▲▲ | 奪命五連、嵐遁の術、沈黙の霧・壱 | |
| 結城朝勝 | 二刀侍 | ▲▲ | 一所懸命・極、八箇必勝 | |
| 芳賀高武 | 刀忍者 | ▲ | 五連撃、無影一閃、結界破り、全体看破 | |
| 今泉高光 | 棍棒薬師 | 蘇生・壱、完全治療、全体完全治療、全体救護・弐、瞬雷、蛇紋孔・弐 | ||
| 芳賀高継 | 薙刀傾奇 | ▲ | 天衣無縫・改、〜龍閃、各種槌舞、意気衝天・四、全体看破、反撃術 |
ドロップアイテム
列伝
- 宇都宮国綱(うつのみや くにつな)
- 1568-1608 下野の戦国大名。~
1576年、父・広綱の死により家督を継ぐ。
国内の反対勢力や後北条氏の侵攻に対抗するために、佐竹氏、結城氏、武田勝頼、豊臣秀吉らと手を結んだ。
小田原の陣直前には、周辺諸城が北条氏に寝返り窮地に陥る。1590年、秀吉の小田原征伐が始まると、石田三成の忍城攻め等に参加し、下野18万石の所領を安堵された。
しかし、1597年、秀吉の命により突如として改易され、娘婿の宇喜多秀家預かりとなった。これは浅野長政の三男長重を養子として迎えようとしたが、宇都宮家中の反対により実現せず、それを恨みに思った長政の讒言により改易されたとする説もある。
その後、宇都宮氏を再興すべく慶長の役に参陣し武功を立てたが、再興はかなわなかった。諸国を流浪し、1607年江戸で病死。享年40。
- 結城朝勝(ゆうき ともかつ)
- 1569-1628 宇都宮国綱の弟。~
1577年、結城晴朝の養子となり、宇都宮氏と結城氏は同盟を結んで北条氏政に対抗した。
1578年、小川台合戦で北条軍と戦い初陣を果たす。
1590年、結城秀康が結城氏に入嗣すると、実家の兄・国綱のもとへ戻った。
宇都宮氏改易後は佐竹義宣のもとへ身を寄せ、関ヶ原の戦いの際には上杉景勝と義宣の間を取り持つ役目を果たした。佐竹氏が出羽に移封されるとそれに従い、宇都宮姓に復し、宇都宮恵斎宗安と名乗った。
- 芳賀高武(はが たかたけ)
- 1572-1612 宇都宮国綱の弟。~
宇都宮家臣の芳賀高継の養子となり、1592年には養父・高継の死により家督を継いだ。
兄・国綱と協力し、家臣団統制をはかるなど右腕として活躍した。
今泉高光は国綱に後継ぎがいなかったため、浅野長政の子を迎えようとしたが、高武はこれに反対し、今泉高光殺害に至った。これが原因となり1597年に宇都宮氏は改易されたという。
その後はお家再興に尽力したが報われることは無かった。
- 今泉高光(いまいずみ たかみつ)
- 1548-1597年宇都宮氏の家臣。~
宇都宮氏の庶流の一族。主君・宇都宮国綱に継嗣が無かったため、豊臣氏の五奉行であった浅野長政から養子をもらおうとしたが、これに不満を持った国綱の弟・芳賀高武に殺された。
- 芳賀高継
コメント
- 忍者侍忍者薬師傾 -- 相模もん &new{2011-05-15 (日) 16:42:13};
- 小田2の1体雑魚狩ってると沸きました。 -- &new{2011-05-31 (火) 09:20:52};
- 1が嵐遁の術 を使うのを確認 -- &new{2011-07-30 (土) 17:31:16};
- 多劫の功績を忘れては困る -- 多劫五郎 &new{2014-03-16 (日) 08:17:41};
- エリア2で、5体もの狩ってたら沸いた -- &new{2022-04-03 (日) 21:52:23};
- 若狭剣豪を倒した後に沸いたのが数回確認 -- &new{2022-04-10 (日) 11:10:42};
- 若狭剣豪を倒した後に沸いたのが数回確認 -- &new{2022-04-10 (日) 11:10:42};
- 若狭剣豪を倒した後に沸いたのが数回確認 -- &new{2022-04-10 (日) 11:11:09};
- 若狭剣豪を倒した後に沸いたのが数回確認 -- &new{2022-04-10 (日) 11:11:23};
元の文章: 旧寄合所ミラーの「宇都宮国綱」(2026-10-04 11:41 に引き継ぎ)をもとにしています。
旧寄合所ミラーの文章は、そのまま残ります。ここでの編集は、寄合所・新 ページの履歴に記録されます。